2012年3月12日月曜日

南京事件否定発言が問う「国家の気概」

【ついき秀学のMirai Vision】 
サンケイビズより転載
2012.3.9


名古屋市の河村たかし市長が先月20日、いわゆる「南京事件」(1937年12月13日、日本軍が中国の南京を制圧・占領した際に一般市民らを大虐殺したとする事案)を否定する発言をしたことが内外に波紋を呼んでいます。  

中国側は早速これに反発し、同日、中国外務省の報道官が「同意できない。南京大虐殺は動かぬ事実」と非難したほか、共産党機関紙の人民日報は23日付評論で、「侵略戦争の歴史の真相を否定し、中国人民の感情を傷つけたことの代償は必ず支払わなければならない」と主張。

名古屋市と姉妹都市の南京市は、人気アイドルグループ「SKE48」の公演を目玉に今月9日から予定されていた日中共催の文化交流イベント「南京ジャパンウイーク」の延期を決めました。  

◆「南京事件」はプロパガンダの産物  

日本国内の反応もさまざまで、東京都の石原知事が河村氏に賛意を表す一方、地元メディアの中日新聞は23日付の「歴史認識はしっかりと」と題した社説で、「歴史認識に食い違いのある問題で自らの見解を一方的に公にしたことは配慮が足りなさすぎる」と述べ、28日にも「河村市長発言 なぜ素直に撤回しない」との社説を掲載するなど、批判を強めています。  



しかし、南京事件の有無や犠牲者数については諸説があるものの、中国政府が犠牲者30万人と主張する「南京事件」はほとんどプロパガンダの産物に過ぎず、河村氏の発言は至極妥当なものです。陥落時の南京市民がせいぜい20万人だったのに30万人も虐殺できる訳はなく、「虐殺」現場の目撃者も存在しません(南京の「安全区」を管理する国際委員会に届けられた殺人事件は25件。

そのうち委員会メンバーが直に目撃したのは2件のみ)。投降した中国兵の処刑や、軍紀の乱れによる略奪、強姦、殺人などは一部にあったでしょうが、ここから話を膨らませて「組織的、計画的な大虐殺があった」とするプロパガンダがなされたものと見られます。

実際、南京陥落後から戦争終結まで、国民党も共産党も国際連盟も南京事件を非難するどころか、全くこれに言及していません(第三国人を使った国民党による宣伝工作はあった)。本当に大虐殺が行われていたなら、日本を徹底的に非難していたはずです。ところが、南京事件は戦後の東京裁判で初めて問題にされるようになったというのが真相です。  

◆ステレオタイプな断罪論を脱却せよ  

にもかかわらず、河村氏の発言を受け、日本政府としては藤村官房長官が22日の会見で「非戦闘員の殺害、略奪行為は否定できない」と述べ、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」とする村山談話(1995年8月閣議決定)を踏襲する立場を明らかにしました。
野田首相も「名古屋市と南京市の間で適切に解決されるべき問題」と傍観を決め込んでいます。  

日中戦争をめぐっては、多くの政治家やマスコミが当時の日本について「中国への一方的な加害者であり、悪事を働いた」とするステレオタイプな日本断罪論に呪縛されているようですが、そろそろこれも脱却しなくてはなりません。

例えば、日中戦争の端緒となった「盧溝橋事件」(1937年7月7日、北京西南の盧溝橋付近で発生した日中間の軍事衝突)については、これを引き起こした日本軍への発砲は、当時国民党により壊滅寸前まで追い込まれた共産党が国民党を日本軍に向かわせるために仕掛けた工作と見られ、少なくとも日本側が仕組んだものではありません。

その後に起こった通州事件(同年7月29日に発生した日本人民間人への虐殺事件)や第二次上海事変(同年8月13日、国民党正規軍が上海の日本人居住区を突如襲撃して発生)も明白に中国側からの攻撃によるもので、日本軍はこれへの応戦を余儀なくされました。

戦争に至ったのは不幸なことですが、中国側にそれを欲する勢力やそのための行動があったことを見落としてはなりません。  

当の河村氏は謝罪や撤回の考えはないようで、政治家としての「気骨」を示していますが、政権中枢や一部マスコミが中国の顔色をうかがっている現状は情けない限りです。「国家の気概」を示せない政治家では、国民や国益を守り抜くことはおぼつかないでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿